「夢をみよう」
ゲスト/9回生 島田 公志さんこのコーナーでは、毎号、同窓生の一人にスポットを当て、高校時代の思い出や現在の仕事についていろいろお話ししていただきます。
第1回のゲストは、同窓会副会長で(株)シマダ商事を経営する9回生の島田公志さんです。
― 高校時代はどんな生徒でしたか。
島田:部活とバンド活動に入れ込んでました。彼女もいたので勉強する時間はありませんでしたね。どちらかというとやんちゃな方でしたが、生徒会副会長も務めていたりして、後輩からは良く分からない人だと言われたこともあります(笑)。
― 部活は何を?
島田:ラグビー部で副キャプテンを務めていました。中学は野球部だったのですが、実は子供の頃からのラグビーファンなので、先輩の誘いに乗って入部しました。部活は楽しかったですね。毎日ラグビーをしに学校へ行っていたようなものでした。
ただ、時々コーチに来てくれるOBの先輩が、ムチャクチャ厳しかった。厳しい指導で知られるその先輩が一番血気盛んだった頃で、はっきり言って練習はまさに地獄。高校1年の時の、四日間の夏合宿以上のしんどい思いは、その後の人生で一度も経験したことがありません。逆にあれを体験したから、その後どんなに辛いことがあっても、あの時よりもマシだと思って乗り越えることができました。先輩とは、今でもラグビー協会で一緒に活動させていただいていますが、その時の思い出話になって感謝を口にすると、「そうか」と言って笑われます。なんか美談にしちゃってますが(笑)。
― その後、大学はどちらへ進まれたのですか?
島田:中央大学の商学部に推薦しようかという話があったんですが、父親の反対で実現しませんでした。たぶん、東京に行かせたら二度と帰ってこないだろうと考えたのではないかと思います(笑)。結局、私立大学の受験をさせてもらえず、富山大学専願。でも、担任の先生にそれを話すと、「お前にはあまり富大に受かってほしくないんだけど」と言われた。つまり、自分のように普段勉強もしていない人間が簡単に合格してしまうと、今後富大をめざす後輩に悪影響を及ぼさないか心配だということらしいんですが、ひどい話ですよね(笑)。
― しかし、そんな言葉への反発が功を奏したのか、見事合格。ひょっとして先生はそれが狙いだったのかもしれませんね。大学時代の思い出は?
島田:マージャンとお酒に親しみながら、父親の経営するガソリン・スタンドでバイトをしていました。学生時代に、一通りの会社の仕事を覚えましたね。サークル活動はあまりしなかったんですが、友人は多い方だと思います。人生は人との出会いですし、人間は他人との関わりの中でしか変われないですよね。仲の良い友達はもちろん、厳しい先輩や先生との出会いも、自分を育ててくれたと感じています。
― 大学卒業後はどんな仕事に就かれたんですか?
島田:最初に安田火災に就職しましたが、2年で辞めて、ガソリン・スタンドの一角で、自分で保険代理店を始めました。ガソリン・スタンドには危機感があり、会社の将来を考えると、夜も眠れないくらいの精神状態になったこともありました。31才でシマダ商事の代表になって、自ら立ち上げた保険代理店はシマダ商事と合併させました。
― その後、様々な分野に進出されますね。
島田:油と保険だけではダメ、という思いがあったんです。それで、会社を継いで4年目くらいにLPガス事業を始めました。新規参入には厳しい業界でしたが、高校時代のラグビー練習のハードさに比べると、全然たいしたことはなかった。LPガスは軌道に乗りましたが、それでもまだ不安は尽きない。なんでもやってみたくなるんす(笑)。
何か新しい商売に繋がる情報を求めて、東京ビッグ・サイトの日本フランチャイズ・ショーにも足を運びました。インターネットで収集した資料は、山のような量になりました(笑)。
そんな中、興味を惹かれたものが二つありました。一つは飲食。そしてもう一つがコイン・ランドリーです。
― コイン・ランドリーのどんなところが魅力だったんですか?
島田:自分は油屋としては3代目なんですが、引き継ぎの苦しみと産みの苦しみ、どちらもそれぞれにあります。でも産みの苦しみには、新しいものに取り組む楽しみがあるんです。飲食のフランチャイズの担当者とも何度か接触したんですが、コイン・ランドリーの方により興味を惹かれたのは、フランチャイズにせずとも、自分で直営できるのではと感じたこともありました。最初の店舗(小杉店)の準備をしている時は本当に楽しかったですよ。お店の名前(「スプラッシュ!」)やロゴマーク、店内の造作や運営システム、果ては店で流すBGMに至るまで、全部自分で考えて。これはフランチャイズではできない楽しみです。その後、ちょっとしたコイン・ランドリーブームになりましたが、ちょうど良いタイミングに始められたのも成功した理由。自分はついていたと思います。現在は射水・高岡に4店舗ですが、条件さえ合えば増やしていきたいですね。
― 最近、不動産業も始められたとか。
島田:商売をしていると、お客さんから不動産がらみの相談を受けることが度々あったんです。「じゃあ、不動産屋に繋いであげるよ」といった感じでこれまで続けてきたんですが、たまたま家内が、子供が大きくなって手を離れたこともあって宅建の資格に挑戦してみたところ、なんと合格したんです。それがきっかけでシマダ商事に不動産部を立ち上げました。近いうちに僕も宅建の資格を取ろうと思っています。
― これからの目標は何ですか?
島田:ガソリン・スタンドは、将来性という点では厳しいんです。時代が変わろうと、存続して行けるような会社にすることが目標です。僕の商売の座右の銘はダーウィンの進化論なんです。力の強いものが生き残るのではなく、うまく環境に適応できた種が残って行く。商売も同じだと思うんです。少子化により、すべての分野でマーケットが縮小して行く。そんな中で、むやみに拡大路線をとれば良いというものではないと思う。社会は変えられないけど、社会の変化に合わせて、適合して行くことはできる。世の中の変化を感じとりながら、業態を変えて残って行けるようにしたいと考えています。将来は子供達に引き継ぎできるような事業を創り上げて行くのが目標です。
― その一方で、ガソリン・スタンドでは保守的な経営を続けられているそうですね。
島田:ガソリン・スタンドはキャッシュ化、クレジット化、セルフサービス化が進んでいるんですが、うちは昔ながらの掛け売り中心。僕は、根は頑固者なんです(笑)。
今でも趣味でバンド活動を続けていますが、自分はパンク世代なので、クイーンには興味がない。でも映画(※注「ボヘミアン・ラプソディー」)以降、周囲がやたらにクイーン、クイーンって言うんです。お前ら、今までクイーンなんて聴いたこともなかっただろって言いたい。好きなことには徹底的にこだわる。興味のないことには関わらない。それが僕のモットーなんです。
― ところで同窓会に関わることになったきっかけは何ですか?
島田:最初はちょっとした行き違いもあって、同窓会には興味がなかったんです。でも金森(副会長)さんと出会って、彼の説得で関わってみてもいいかと思うようになった。その後、織田さんが会長に就任された時に、副会長を頼まれました。でも、同窓会に火がついたきっかけは、実は高岡南グリーン会なんです。事務局長を務めてるんですが、これまで会ったこともない同窓生と、ゴルフを通じて知り合って仲良くなれた。それがきっかけで同窓会にも親近感を持つようになりました。
もう一つ、南高校のキャリア・デザイン・セミナーの講師を何年か務めさせていただいたんですが、自分の経験を元に話をして、そこで教えた生徒と、卒業後に偶然仕事で再会したんです。「先輩のセミナー、とても楽しかったですよ」と彼女に言われた時は、本当に嬉しかった。同窓会に関わって、後輩と出会うことによって、愛校心がようやく芽生えたような気がします。
― 最後に後輩へのメッセージをお願いします。
島田:僕のキャリア・デザインのテーマは「夢をみよう」です。自分自身が高校時代にこんなことを考えながら生活していればよかったな…という話をしました。中学のある友人は、旅行会社に勤めて世界中を旅するのが夢でした。ところが彼は数学の教師になった。もちろん立派な仕事ですが、果たして自分の夢を叶えたと言えるんでしょうか。
僕は小学校の卒業文集に「ガソリン・スタンドの社長になるのが夢」だと書きました。今でも、その夢を追い掛けている最中です。皆さんも、自分の夢をしっかりと持って、人生を歩んで行ってほしいと願っています。